日本での中国語学習
以前は大学の第二外国語でも、中国語がそこまで人気ではありませんでした。しかし、中国が経済大国になったことも加え、華流ブームも起きて、第二外国語の学習者も増えました。いまでは学習本や学習機会は比較的多い言語だと言えるようになりました。
中国語の学びはじめ
中国語は声調言語です。普通話と呼ばれる標準語の場合、4つの声調があり、同じmaでも言い間違えると母が馬になったりします。そのため、中国語の、特に最初は間違った発音を覚えないよう先生について学びたいと思っていました。大学1年生のとき、満を持して中国語の授業を取りました。
中国語の授業は日本人の山本先生と、台湾人の鄭先生の2名の非常勤講師の先生から教わりました。山本先生の授業は2年生で正規の単位を取った後も、モグリとして授業に入り込ませてもらい、4年間みっちり稽古をつけてもらいました。
大学院に入ると中国語の比較言語学の授業に出ました。その先生には、就職前の春休み、マンツーマンで村上春樹の『やがて哀しき外国語』の中国語版を読んでいく形で、中国語を仕込んでいただきました。それは今も身になっています。
授業で「義勇軍行進曲」を学んだおかげで、のちに中国出張に行った時に式典でも臆することなく歌えました。中国語には適性があったのか、さほどスランプに陥ることもなく、中国語検定2級までは取得できました。ただ、世の中には6年程度で準1級を取る人もいるのだから、上には上がいます。
徒手空拳時代(自学自習時代)
中国語ができる、朝鮮語学習の過程で培った共産趣味がある。これから導かれるのは、ベン図をもとにすると、中国共産党を対象とした共産趣味をすべき、ということです。当時、探しても見つからなかったことから、中国語の革命歌を題材にしたブログを立ち上げました。
こうして訳した革命歌は200曲以上にも上ります。中国出張時や滞在時には、大陸の人にこうした革命歌を披露すると喜んでもらえました。芸は身を助けます。
そのほか、時間があれば台湾に行き、友人と会ったり、本やDVDを買ったりしてきました。
2010年代までは台北市内でも多くの本屋さんがあり、そこではDVDも売られていました。中国や台湾の映画等のいいところは、字幕がついていることです。聞き取れなくても字幕を追っていけば、意味が理解できます。そのため、素晴らしい教材だと思っていたのですが、今やネット配信全盛時代となり、2020年代には本屋の数も減り、店頭からDVDは消えてしまいました。
さらなる上達へ(北京駐在時代)
北京駐在時には職場から補助が出たということもあり、中国語のレッスンを週2回、受けていました。一人で検定試験にも目もくれず、好きな本を読んでいたら、意外と語学力に頭打ちが来ます。中国語には対応する語が決まってる言い回しがあって、例えば以下のようなものです。
- 即使下雨,我们也会去旅行。(もし雨が降っても、私たちは旅行に行く。)
- 无论天气怎么样,我们都要坚持锻炼。 (どんな天気でも、私たちは運動を続けなければならない。)
こういう「即使~都/也」、「无论~都」という言い方は、中国語検定の重要項目となっています。ただ漫然と小説を読んだりドラマを見たりしているだけでは身につかないので、覚える必要がありました。
これから
中国滞在時にできた友人とはWeChatで、台湾人の友人とはLINEでそれぞれ中国語を用いてやり取りしています。まだまだ中国語は不得手だし、中国人、台湾人が覚えているような漢詩や四字熟語も全然知らないので、これからもっともっと勉強していかなくてはいけません。台湾人の友人に言わせれば、私の中国語には大陸腔(大陸訛り)があるそうで、台湾と大陸の中国語の使い分けができたらいいなと思っています。
ただ、友人ともそれなりに意思疎通はでき、旅行には全く困らないことから、中国語を学ぶ意義というか、モチベーションを高く保てないのは悩みではあります。漢詩を作りたいわけでもなければ、中国を対象とした研究がしたいわけではありません。ただ、台湾のことはもっともっと知っていきたいなと思っています。